俺「実はお前は養子…」 息子「?知ってるけど?」 俺「え?」 息子「え?」
-
誰かがどんなくだらない質問にもマジレスするスレ 2<
- 489 :ほのぼの生活 2015/07/15(水)22:07:17 ID:aff
- 赤ん坊の頃の記憶ってある?
息子は実は養子なんだけど俺達夫婦は不妊で子供が居なかったんだ。
でもどうしても子供を諦められなかったので施設から生後半年の息子を養子として来てもらった。
親の俺が言うのもなんだが過不足なく育てることが出来たと思う。
息子には二十歳になったら告知しようと嫁と話してて、先週二十歳になった大学生の息子が里帰りしてきた。
まあ里帰りって言っても県内の別の市で独り暮らししてるだけだけど。
で、息子に「大事な話がある」と告げて
俺「今まで黙っていたがお前も二十歳になったから本当の事を話す。実はお前は養子なんだ。だかおれたt」
息子「?知ってるけど?」
俺「え?」
息子「え?」
俺「え?知ってるってどう言うこと?」
息子「え?いや、この家に引き取られたときの記憶有るんだけど?」
俺「え?」
息子「あ、いや、だから引き取られたときの記憶あるから養子だってずっと知ってたし親父もお袋も何も言わないからそんなもんかと思って。。。」
俺「。。。」
息子「。。。」
俺「ま、まぁ、なんだ、これからもよろしくな。。。」
息子「うん、まぁよろしくね」
って言ってその日は終わったんだけど赤ん坊の頃の記憶って有るのが普通なの?
俺全然記憶ないし嫁も無いって言うんだけど。
- 490 :ほのぼの生活 2015/07/15(水)22:26:32 ID:KvW
- >>489
私もない、一番小さい頃の記憶は七五三の時だと思う…
たまに物凄く小さい頃から記憶がある人いるみたいだよ
義理の兄がそう(らしい)
ちょっと拍子抜けだっただろうけど、そのまま皆様お幸せにね493 :ほのぼの生活 2015/07/15(水)23:06:18 ID:Rbr
>>490
ありがとう。
やっぱり記憶ないよね。
ガッカリするかなとか怒り出すかなとか思ってたけどホントヒョウシヌケだったw
俺ら夫婦も息子もこれからも仲良くやってくよ - 495 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)00:14:10 ID:aMr
- よく3歳くらいまでは生まれた時の記憶とか胎児の時の記憶があるって言うじゃない。
でも3歳という年齢が微妙で、覚えていてもそれを表現する言葉がまだないんだよね。
私の一番古い記憶は母のお腹が大きい時のお正月なので1歳半くらい。
家族で写真を撮った時の事を覚えているんだけど、写真があるから思い込んでいるだけだと家族は信じてくれないんだけどね。
でも直前に当時家で飼っていた大型犬に吠えられたのを覚えているんだよね。
ちなみに大型犬は弟がうまれてすぐ死んでいるので、それ以外の犬の記憶はない。
たぶん、いつもと違う(お正月で着物を着ていた)状況でいつもは近づかない犬にほえられたとか特別な状況だったから覚えていたんだと思う。
未熟児の赤ちゃんって、ママがダッコして肌を触れ合わせる事で状態がよくなるらしいじゃない。
生後半年って、まだまだ本来ならママが一日の大半をダッコで過ごす時期だよね。
でも施設じゃそうはいかないじゃない。
たぶん、489さんご夫妻の親としての温かさが息子さんにとってすごく特別だったんじゃないかなぁ
赤ちゃんをだっこして、ゆらゆら揺らしていると、すごく安心して眠るんだよね。
もしかしたら、息子さんは生まれて初めて、安心して眠れる胸に抱かれたのかもしれないね。 - 497 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)00:46:35 ID:mSF
- >>489
赤ん坊じゃなくて胎児のときのことなら、1つだけ記憶にある。
自分では生まれてまだ小さい頃の出来事かと思ってたけど…
その当時の話になって、普通に会話に加わってたら、「あんた…あの時まだ生まれてなかったわよ…」って母親も親戚も唖然としてたw
その2ヶ月後にめでたく?誕生しました。
養子に迎えられたときの記憶がちゃんと残ってるなんて素敵ね。
これからも良い家族でいられますように… - 498 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)00:51:35 ID:mSF
- あとね、もう1つ言わせて。
>養子として来てもらった。
養子としてもらった、じゃなく、来てもらった、って表現に凄く息子さんに対する愛情感じた。 - 500 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)02:16:48 ID:bnW
- 知り合いに30歳過ぎてるけど幼児期の頃の記憶がある人いたな
未婚なんで子供がどれくらいで立つものなのか良く知らないけど、その知人は
「お父さんもお母さんも立ってるのに自分は立ってない!悔しい、早く立とう!」と思って
一生懸命つかまり立ちの練習をしたそうだ
「この子はつかまり立ちが早かった」って知人のお母さんが言ってたよ - 501 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)08:16:10 ID:xH0
- 489だけど以外と赤ん坊の頃の記憶ある人いるんだな。
昨日書き込んでから会社の人にも聞いてみたけど覚えてる人は居なかった。
やっぱり珍しいのかな。
息子との馴れ初めは俺達が施設行ったときに息子がずっと俺達を見てたんだ。
そして嫁が抱っこして
俺「俺達の家族になりに来ない?」
って聞いたら息子がだぁーって言いながら笑ったんだよ。
だから貰ったって言うよりは来てもらったって表現がしっくり来るんだw
これ以上はスレちだから消えるけどレスありがとう!
これからも仲良くやってくよ。 - 502 :ほのぼの生活 2015/07/16(木)08:21:07 ID:oqi
- 3歳までは、胎内の記憶があるんだって
うちの子に聞いたら、暗かった、電気つけてくれと思ったら紐があったので引っ張ったら明るくなった
子はへその緒が首に絡まって出てきたんだが、そうか、自分で引っ張ったのか
可哀想に苦しかったんだな - 524 :ほのぼの生活 2015/07/17(金)06:36:59 ID:ZWA
- >>489
俺の一番古い記憶は、生後半年くらい
六角形の蛍光灯ペンダントに照らされて、
毛の生えた亀の欄間の古い家で沐浴
それを小学校の時に親に言ったら、
それは俺が1歳半の頃に火事で燃えてしまった母親側の実家だった
まあ、そういうこともあるよ - 本スレ:http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1427888322/
-
こんな記事もおすすめです
(=゚ω゚)ノ コメントについてのあれこれ
1.スパム防止の為、URLは貼れません。httpのhを抜いてください
2.エロや差別的なキーワードにはフィルタが掛かって書けない事があります
1.スパム防止の為、URLは貼れません。httpのhを抜いてください
2.エロや差別的なキーワードにはフィルタが掛かって書けない事があります
コメント一覧 (21)
水の音も背中に当たる日の暑さも覚えている。
川で一緒にいた祖母にそのときの状況を話したら
「全くその通りだった」と答えてくれた。
生後8ヶ月の記憶。
恥ずかしながら二歳になるまで母乳を飲んでたんだけど、いい加減やめたい母親が「おっぱ○に唐辛子ぬったから辛くて飲めないよ」って言ったのを覚えてる。
なんで唐辛子をおっぱ○に?って衝撃でその時の母親の服の色も家の家具も思い出せる。
母親いわくそれから一言もおっぱ○飲みたいって言わなくなったらしいが、なんでおっぱ○に唐辛子ぬったのかってずうっと聞かれ続けて嫌だったってさ(笑)
強く印象に残る出来事なら覚えている人なら結構いると思う。
息子にとっては投稿者夫婦に引き取られたことが、
強烈に幸せなできごとだったんじゃないだろうか。
寝かされてた枕を小学生の頃、改めて見たら本当に小さかった。
クルクル回るおもちゃが上からぶら下がっているのを見てた記憶がある。
という記憶をこれまでなんども反芻して維持してきた。
不確かながら、前の記憶もある。この話は嫁にしか話したことがない。
その時、皆お姉さんお兄さんだったけど、写真みたら、1歳2歳3歳位の子供達だった。
時々その写真をみてるので、記憶がけっこう残ってると思う。
ちなみに自分は超ご機嫌で写真撮られてた。よっぽど面白かったんだと思う。
そのときの情景や五感の記憶は、親の話だけでは再現できないだろう。
私の最初の記憶は、2歳前の引越し。嗅いだことのない新築の匂いが新鮮だった。
雪が降っていて、コートに積もった雪をそこにいたおっちゃん(のちに大工さんと判明)が払ってくれた。
母親の見てるイメージがそのまま伝わってた気がする
産まれた後は三歳からの記憶しかないがそれも手術台とか強烈なのばっかで日常的な記憶はあんまないや
古すぎる家で屋根に穴が空いた場所があったんだけど、台風が来て、いつもの雨だとポタポタなところ、あちこち滝のように水が流れまくってて、家中のバケツや洗面器集めて大人たちがてんやわんやしてたwいやぁ楽しかったwww
穴から空見えないのに、そんなに水流れるのかーw!また今日は格段に凄いなー!普通に生活してるとこは雨漏りないかな放置でも良くない?と思った記憶があるから、当時はもっとたくさん昔からの記憶があったんだろうね。
他のコメの方の記憶も割と濃いなーw印象的な記憶は残りやすいのかも。
私も二歳の時、引っ越しの為に新しい土地を家族で下見に行った時だ。
草がぼーぼーに生えてた。
一枚一枚写真をつなぎ合わせたような、細切れの記憶だけど。
生まれて初めて、家族で海に行った時のこと。
12月生まれの私が、まだ歩けるようになる前だったので、
逆算すると1歳になっていない・・7か月頃になる。
私は砂浜で母に抱っこされて、波打ち際で遊ぶ兄や父の姿を見ていた。
母に抱っこされていたり、当時はゴザ?に座っていただけで海には入っていなかった。
それが、急に波打ち際に座らされた。
私は怖くて泣いた。 波がかかるのが怖くて、早く元の場所に戻してほしくて泣いた。
でも、母も父も私の泣く姿を見て笑っている。
助けてくれないで笑っていることに対してイラだって「笑ってないで何とかしてよ」って思ったのを覚えてる。そして、次の瞬間少し大きい波にのまれて私は転がってしまった。水とともに天と地がひっくり返る。回る洗濯機の中に投げられたようなイメージ。
私は「だから助けてって言ってんのに」って怒りながら泣きながら母に抱き上げられた。
記憶はそこまで。泣くことでしか気持ちを訴えられない歯がゆさも覚えてる。
そんな話を、家族でしていた時「あんた小さかったのに覚えてるわけないべさ」って
聞き流されたけど、最後に母が「・・?」って顔してた。
母と祖母の大喧嘩してる光景見てたのが最古の記憶だが
立て替える前の家にピアノあったのか聞いたこともないが
その記憶(イメージ?)のせいで事勿れ主義になったんじゃないかと思ってる
俺の恐らく最も古い記憶は親に頭から熱湯をぶっかけられ、泣き喚く俺と弟だな、その後
父親「うるさい!何泣いてるんだ…(お湯に触れたらしい)あちぃーーーッ!?」
とか言ってた。その時はそんな言葉を知らないからその感情を言い表せず、何も言えなかったが、恐らく生まれて来て一番最初に抱いた殺意なのだろう。凄まじい怒りで覚えている。当時2歳以下(引っ越す前の家なのを覚えていて、引越しも覚えているから。)。
その後虐待されて育ったんで復讐する時を今か今かと待ち続けてるんだが、あのクソジジイより、俺の方が先にくたばりそうだ。無念。
ある時いきなりトンネル開いたように光が眩しくて周りが騒がしくて自分がここに居てはいけないのを感じた。凄い嫌だったけど何でか出ないといけない感じだったからかなり名残惜しみながら明るい方に引っ張られるように向かって行ったのを覚えてる。
あと便が「6」の形になってケツ丸出しで親を呼びに言った記憶がある。ただ、その時何歳だったのかは親も俺もわからん。