【黄金のバス】 金色に輝くバスに乗り、地獄の義実家から逃げ出した
【宣戦】義実家にしたスカッとするDQ返し151【布告】
- 365 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:39:06 0
- 電車どころかバスも一日一本しかない超ド田舎のクソ膿家に空気夫とウトメと同居して六年。
朝は四時半にトメの掃除機(私が寝ている部屋の障子のへりにゴンゴン音を立てて起こす)で起床。
身支度などする間もなく田畑のチェックと野菜の収穫、何をもいできても文句を言われるのは二年目に慣れた。
形が悪く虫だらけの野菜と格闘して朝食の準備、ウトと二度寝のトメと夫を起こす。
食べている間にチェックした箇所の報告をして(当たり前のように返事はない)息子らを起こしてお世話。
ウトメと夫が出ていってから息子らと朝食。
二層式の古い洗濯機を回しながらセカセカと動く。
息子ひとりにつき卵一個と決められ、私はウトメたちが残したものを舐めるようにこそぎとってご飯と一緒に流し込む。
みそ汁の残り、トメ製漬け物の切れ端(皿に盛ると文句を言われるので端っこはよけてある)、おすそわけの梅干しなど。
庭とは呼べない敷地で息子らが遊んでいる間に掃除、洗濯、朝食の後かたづけ、昼の弁当の用意。
塩むすび、うめぼし、たまごやき、お中元お歳暮の時期は焼いたハムなどをつけるが当然わたしには当たらない。
ハムやかたまり肉は誰かの分に端っこが入っていないと食べたのがバレて文句を言われるから、欲しくもない。
田畑まではウトメが軽トラ、夫が車に乗っていくので私は歩いて三人分のお茶を弁当を持ち、2~3キロの距離を歩く。
妊娠中も、赤ん坊の頃でも、熱があっても腰が痛くても、おんぶひもと抱っこの時期でも。
どこにいるのか知らされないし私は携帯を持っていないので、近いところから探して回る。
軽トラの運転席、助手席、車の運転席にそれぞれ弁当とお茶を置いて、声をかけて(無視されて)家へ戻る。
息子らは足腰が強い子どもに育っていると思うし、最近は楽しんで遊びながらでも歩いてくれるので楽になってきた。
- 366 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:39:24 0
- 戻ると昼になるのでそうめんやおにぎりなど簡単なものを作って食べ、息子らの昼寝をさせる。
その間に敷地内を全て掃除、ぞうきんかけ、夕食の準備をする。戻ってきて席についたらすぐ食べられる状態にするために。
食材が限られているので煮物、おひたし、卵料理などがほとんど。勝手に買い物することはまず無理。
お金は落ちている小銭を集めたものしか隠し持っていないし、通帳カード類は全てトメの金庫の中。
そもそも車がないし親しい人もいないので身動き自体がとれない。パソコンも携帯もない。
ウトメたちが帰宅する音が聞こえるとすぐに食卓の準備。食べはじめると同時に風呂を沸かす。
想像できるだろうけどもちろん私と息子らは最後。まあどうせ掃除しなければならないので最後で構わない。
シャワーはもともとついていないので、わかした湯だけで全て済ませる。これも一年で慣れた。
テレビはウトメがいるとき以外はつけてはいけない。まあ居る時も傍には寄らないが。
泥と汗まみれの服を下洗いして漬けておき、翌日は四時半に起きるので九時半には床につく。
盆暮れ正月来客時は多少の変化はあるが、このような生活を六年も送って頭がおかしかったと自分でも思う。
ウトメと夫は、農業だけは一生懸命だった。(そこだけは今でも尊敬している)
夫婦の会話はほとんどなく、次男が生まれてからは睡眠に支障がでるとの理由で寝室は別。
新婚の頃はあれこれと気を遣ってくれたが、一年もすると、私がウトメに文句や嫌味、罵倒されていても
聞こえないふりをするようになった。どんなに理不尽なことでも、気が強いトメに怒鳴られると、
萎縮するのか諦めるのか定かではないが、とにかくそれ以上関わらないような態度だった。
まあ、私もその点では同じようなものなので責めることはできないが。 - 367 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:39:45 0
- ここへ来てからというもの、電車を乗り継ぎ数時間の距離にある実家へ帰ることができたのは二回だけ。
その二回ですら正月から頭を下げて「お願いいたします、三泊だけで良いので行かせて下さい」と言い続け
さらに息子が「○○のおばあちゃんち行きたい!なんで?なんでダメ?」と涙ながらに食い下がり
ようやく許可がおりるといった感じ。
本当に「許可」という言葉がぴったりだった。
この夏は、自分でもなぜなのかはわからないがどうしても実家に帰りたかった。
去年帰ったので今年は無理だろうなと諦めていたのに、なぜか「帰りたい!」と毎晩のように思った。
お盆も過ぎたある日の夕食後、
夫だけに「来年から長男も小学校だし、この夏に帰りたいんだけど」
と言うと「ばあさんたちに聞きなよ」と否定はしなかった。
エプロンを外してウトメのところへ行き
「去年も帰らせていただいて何なのですが、来週あたり実家の方へ行きたいと思って…」と頼むと
ウトメが同時に眉間に皺を寄せた。ああ、やっぱりな…と思ったら
「は、好きにすればええが」
と思いもよらなかった答えが返ってきた。私のことがどうでもいいのはわかっているので裏など読まず
飛び上がって喜びそうになったがこらえ、「ありがとうございます」と頭を下げて台所へ戻った。
翌日、みなが出ていったのを確認して弁当を準備したあと、衝動的にドタドタと荷物をまとめた。
もともと持ち物は少なく、私と息子らの三人分の荷物が、大きめのトートバッグひとつにおさまった。
そして念には念を入れて洗面所にバッグを置き、その上から洗濯物をかぶせた。もしものときに言い訳がきくように。 - 368 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:39:58 0
- お茶と弁当を届け、家に戻るスピードの速いことといったらなかった。長男は走り、次男はかついで早歩きした。
湿ってしまったトートバッグを肩にかけ、下駄箱の上の牛乳代と新聞代をグシャッとつかんで巾着袋に入れた。
そして歩いて、歩いて、歩いて、歩き続け、高速バスの停留所が見える頃には空が赤く染まってきた。
昼寝もせずに移動したものだから兄弟そろってグズり、腕の感覚がなくなるほど抱いてでも止まらなかった。
やがて次男が背中で寝ると、長男が「ぼく歩くよ」と言ってくれて手をつないだ。
腰を曲げながら歩くのは本当にしんどかったが、あふれ出す感情で顔をぐしゃぐしゃにして長男を褒め、歩いた。
バス停でバスを待つ間、気が気ではなかった。今頃あいつらは帰宅しただろうか?そして気付いただろうか?
夕食の用意も、お風呂も、洗濯物も取り込んでいないのに気付いただろうか?
「そういえば今日帰るって言ってたっけ」と思われたらまだいいが、「逃げた?」「事故?」と思われたら?
死ぬ気で歩いてきたこの三時間が、車一台のスピードでパァになってしまうんじゃないか?
次男の泣き声でここが見つかったらどうしようという気持ちで、必死で背中を揺らしているとき
待ちわびていたバスがやってきた。
今にも沈みそうな夕日に照らされて赤く、そして金色に輝いて見えた。
そんな必要もないのに大きく手を振った。
席について真っ先にしたことは、後ろを振り返り、誰も見ていなかったかどうかの確認だった。
自分が見る限り、バス停の周りには誰もおらず、乗客も運転手も全く知らない顔だった。
駅に着き、とりあえず新幹線が停まる駅までの切符を買った。実家に電話するより何より、早く、早くと焦っていた。
バスの中でいくらか寝たからか、電車内での息子らは落ち着いていてくれて助かった。
「ばあちゃんち?」「そうや」「ほんとう? やった」「やった」そんな会話を何度も繰り返した。 - 369 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:40:13 0
- 大きな駅について巾着袋を開くと、残りは十円玉が数枚だった。実家に電話すると母親が出た。
「母ちゃん…! わたしあのね、今ね(泣きそう)」
「○子!? 今どこ!?」
「○○駅」
「孫たちは!? お金もっとんか!?」
「一緒、お金、もうないねん」
「今から父ちゃんとそこまで行くから!目立たんとこで待って、二時間したらロータリーに出ておいで!」
受話器を置くと同時に泣いた。鼻水がダラダラ流れるぐらい泣いてしまった。助かるんだ。私は助かるんだ。
人が少ない方面の、明かりが少ない階段の下で三人で話しながら鼻をズルズルと鳴らした。
一時間半で待ちきれなくなってロータリーへ出たら、もう父親が待ちかまえていた。
乗り込んだ車のシートの柔らかかったこと。優しかったこと。
息子らを抱える母と、険しい顔で運転する父を見て「ごべんね…」とだけ言って寝入ってしまった。
実家についたら兄と姉もきてくれていた。
姉が食事を用意してくれて、お風呂わかしてくれて、和室にお布団、三人分の着替えまであった。
兄が息子らをお風呂に入れてくれている間、お腹がすいて待てなくて食事をガッつこうとしたが
口いっぱいほおばったところでとうとう、わあわあと声をあげて泣いてしまった。
久しく口にしていなかった肉の匂いがますます哀しさを呼んで、子どもみたいに泣き、眠った。 - 370 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:40:27 0
- ゲラゲラ笑う声で目が覚めると九時をまわっていた。
寝過ぎたからか頭がものすごく痛かったが、胸のうちはすっかり晴れている感じがしたのを覚えている。
姉が勤めている託児所に息子らを預け、日が暮れるまで母と話した。
といっても私が一方的にしゃべり倒して、母はただうんうんと聞いていたと思う。
朝と夕、義実家からの電話が鳴り続けたが、それ以外は静かだった。
家族に会い、友人に会い、話を聞いてもらって数日。
すっかり元気になった頃に義実家から連絡が入った。
「そろそろ帰ってこないと知らないぞ」とのこと。
父が「まあ、いろいろとお世話になったようで、ねえ?」と言ったのをきっかけにウトがキレた。
「くだらん家のしょうもない女をもらってやったのに偉そうな口のきき方をするな」
「一旦嫁に来たなら二度と帰ることは許されん、それがうちのしきたりやが」
「跡取り孫がどうしてもと言うからそんなところまで行かせてやっただけや」
「掃除も洗濯も溜まりまくっとる、年とったばあさんにおさんどん全部させる気か」
「夫くんの顔もわしらの顔も丸つぶれ、近所に顔向けできん」
「戻ったらただで済むと思うなよ」「家族総出で謝りに来い」
「嫁の代わりと孫を返すなら考えてやってもいいが慰謝料は言い値で払え」
などなど、録音されているのも知らず、ビリビリと音割れするほどの大声でぶちかましてくれた。
以前の私なら萎縮してぶるぶる震え、最終に飛び乗ってでも義実家へ戻っていただろう。 - 371 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:40:37 0
- なぜか実家に帰りたくなり、なぜか元気になり、なぜか義実家連中が怖くなくなった。
父から受話器を取って
「どうもお世話になりましたー! もうむりむり、むっりー」
「え?話ですか?何の話ですか?は?意味がわかりませんねー」
「こちらまで来るなら考えてもいいですけどねー?考えるだけですけどー、で、夫くんは?」
「ああ、もうあんた無理ホンマむりwwwごめwwwwがんばwww」
「何かあったら?は?携帯もってないしwwあんたがここに電話するしかないしwwwうぇwwwww」
みたいなことをしゃべっていたらウトが横から「離婚や!」と言ってくれたので、
「ざーーーす!じゃ署名捺印して離婚届送ってくださいねー!お待ちしてまーす!」と言って切った。
それから一ヶ月経つがまだ送られてこないし、徐々にトーンダウンした電話しかこないのでどうしたものか考え中。
超がつく長文、失礼いたしました。 - 372 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:45:42 0
- これは・・・( ;∀;)
- 373 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:46:00 0
- 乙。よく頑張ったね。
洗脳されると何もかもわかんなくなるからね・・・。
もうそろそろ弁護士使って慰謝料・養育費請求してみたら?
きっと面白いものが見えると思うよw - 374 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:46:53 0
- ああ…GJ!
おめでとう!
胸が熱くなった - 375 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:49:29 0
- 途中のバスのくだりで目から汁が…
乙でした。 - 376 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:50:28 0
- 長すぎて・・・・汗
つまり、産業で書くとどういう事です?383 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:56:17 0
>>376
涙と感動の膿家嫁脱出物語
第一話 ハラハラドキドキの脱出編
以下 次回をお楽しみに384 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:56:26 0
>>376
ウトメと夫に奴隷のようにこき使われて、
ある日洗脳が解けて実家に逃げた。
「離婚や!」と言うので送れと答えたがまだ送ってこない。385 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:56:38 0
>>376
膿家脳農家に嫁いだ嫁が心の声に従ってエネmeから脱却した愛と感動の冒険物語。391 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 17:00:19 0
>>376
膿家の嫁として奴隷のようにこき使われて人間以下の扱い
幼児と乳児をつれて追っ手に怯えながら何時間も歩きつづけ
無事実家に帰り着くとウトからの帰れコール
っていうか読んだ方がいいよ、上手いし、これが読めないのは問題じゃないか - 381 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:55:06 0
- 乙です。
本気で泣けてきた。
娘もちだから、自分の娘がこんな目にあったら…
冗談抜きで義実家、始末しに行くかもしれん。 - 382 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:56:09 0
- バスのくだりが……映画化決定
つか現代の話だと思ってなかったよ
私の母の話です、とオチがつくものとばかり
本当に心臓ドキドキしながら読ませてもらった - 394 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 17:06:12 0
- うん。脱北者と変わらない緊張感だ。
- 396 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 17:07:52 0
- >>365 頑張ったね!息子さん達と幸せになってね
- 400 :名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 17:20:10 0
- 現代日本の話なの?ホントなの?
-
・・・ それから一年後 - 740 :1/3 2010/08/10(火) 20:21:50 0
- 覚えて下さっている方がいらっしゃるかどうかわかりませんが…
夕日に照らされて黄金に輝くバスに乗り、クソのつくド田舎から逃げた嫁です。
ようやく落ち着いたなと思えるようになったので、その後のことなど報告させて下さい。
実家に戻り、クソウトに暴言を吐いてからしばらくは表面上おだやかでした。
が、義実家とその周辺では「嫁が跡取りをさらって逃げた」と大騒ぎだった様子。
(といってもウトメがあちこちにないことないこと触れ回り、暇なご近所がのっかっただけ)
夫から「嫁子も息子たちも元気か」「すまない」と電話があったのは一ヶ月後でした。
そして季節が変わる頃、実家に分厚い封書が届き、開封したところ中から便箋10枚…
「嫁子は人さらい、跡取り(特に長男)を連れ去った罪は重い、どこの馬の骨かわからない女を今までどれだけ尽くし面倒をみてきたか全くわかっていない、それを許して囲う両親もバカ野郎だ、これを読んだら即刻長男を○○に戻し、嫁子には謝罪と今後の介護と家業の全てを命ずる、○○(集落)の人間には全て暴露してあるから日本中に逃げる場所はないと思え」
といった旨の内容がカタカナと方言混じりのクソウトの字で書かれていました。
おまけに、もともと私にはないはずの「ウト名義の土地田畑家屋全てを相続する権利(?)」
を放棄する内容の誓約書まで同封されていました。「甲」が「申」でした。 - 741 :2/3 2010/08/10(火) 20:22:29 0
- 集落にいた頃の私ならきっと震え上がって戻っていたことでしょう。
しかし実家でごくごく普通の生活を送っているうち、体も心も正常になっていたようで、真ん中から派手に破ってゴミ箱へ捨てることができました。
少し話はズレますが、実は長男に発達障害があることがやっとわかりました。
というのは、私はおかしいと気付いていたのですが、あそこでは為す術がなかったのです。
本屋も、病院も、子どもも友人もなく、NHKの番組だけが頼りでした。新聞をチェックして、ウトメと夫が作業に出ている間の家事、その合間、15分の番組を食い入るようにみていました。
誰が入ってくるかわからないのでいつもは締めない玄関の鍵をしめ、障子をしめて、音量を小さくして…。
(「○○の嫁がテレビをみていた」→「○○の嫁は家事をしないボンクラ」→ウトメの説教になる)
ここではしかるべき機関があり、知識も理解もある人がたくさんいて、本もたくさん買えます。
市の療育センターで面談とテストを受けて診断をいただき、入学先では通常級で頑張っています。
もしあそこにいたままだったら…
ウトメが知ったら発達障害が何であるかもわからないまま、知ろうともしないまま、全てを私のせいされ、周りの人間は憶測でものを言いふらすのが目に見えるようにわかります。
長男のためにも、逃げてきてよかったと心から思っています。
あのド田舎生活でひとつだけ良かったことは、息子たちの足腰が強く育ったことでしょうか。
あらゆる天候のなか毎日往復4~5キロの散歩は、都会ではそうできるものではありません。
交通事故や犯罪の心配をせず、大自然の中をただ歩き続けながら季節を感じられたことは
息子たちにとって素晴らしい経験だったのではないかと思っています。 - 742 :3/3 2010/08/10(火) 20:23:21 0
- そして影の薄い夫ですが、まだ離婚はしていません。
今までに四度、単身でこちらへやってきました。
はじめのうちこそウトメの影響を受けて「帰ってこれないのか」などと斜め上発言をしていましたが、会うたびにハツラツと健康になっていく私自身を目の当たりにして徐々に変わっていきました。
自分で言うのもなんですが十歳は若返ったと思うのです
(といっても実年齢相応に戻っただけです)。
「ウトメ」「育った環境」「代々の土地」「跡取り」という思い込み、しがらみから脱出するのには、まだまだ時間がかかるとは思います。
小さな頃からの刷り込みは本当にすごいものですから。
でも三度目の訪問時、バッグからのぞいていたのは現代農業について特集された起業誌でした。
それが何を意味するのか、今の私には想像することしかできません。
穏やかで静かな夫がその胸の内を私に明かしてくれるまで、待っていようと思っています。
それでは。
- 743 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 20:33:51 0
- 覚えてますよ~。
レス見るだけでも、ものっすごくいいカンジになってると思う。
乙でした。
旦那が精神的に親離れできますように。 - 744 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 20:42:58 0
- >>「甲」が「申」でした。
スイカの種が鼻から出たwww - 746 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 22:32:37 0
- 黄金のバスさん。
よかった、無事に元気でやってるんだ。
気になってたんだ、よかったよかった。
長男くんのためにも逃げ出して何よりだったね。
また愚痴を吐きたくなったりしたら、どうぞ。
いつもこのスレをチェックしてるよ。 - 747 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 22:39:09 0
- 乙。本っっっ当に乙です。
家の子も軽度だけど発達障害だから、お子さんの診断がちゃんと下された事の安堵が良く分かります。
本当に周囲の無理解が子供をダメにしちゃいますからね。
受け入れるのも大変だったと思いますが、お子さんたちと共にこれからもっともっと
幸せになって下さい。
つか、そうなるように「申」ウトを呪っておくw - 754 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 23:24:38 0
- 良かったー
なんか精神面が安定してて文章からすんごい明るい雰囲気が伝わるよ。
旦那さんも上手く変われると良いね。 - 755 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 23:39:21 0
- 乙です
目からスイカの汁が - 756 :名無しさん@HOME 2010/08/10(火) 23:48:38 0
- 旦那変われるのかな?
何年も自分の嫁がろくにご飯も食べられず虐げられても
スルー出来た男なんでしょ?
変わったと思っても何かあるとあっさり元に戻りそうだ - 757 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:11:30 O
- 旦那にとっては特になんてことないのかもね。
人生を取り戻せて良かったです。 - 758 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:17:13 0
- 黄金バスさんの脱出前の生活スゲ~。
昭和?戦中なのか?って感じ。
それにしてもダンナ、なんちゅう存在感のなさ。
一体、どんなきっかけで知り合ったのか気になるわ。
なんも分からない若い娘をかっさらった印象。 - 759 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:23:10 0
- 隔離遮断された空間にいると、そんなもんよ
- 760 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:33:26 0
- それ、本当に現代の日本の話???
ちうごくや、東南アジアの貧しい農村みたいで
信じられないんだが…
本当だとしたら、簡単に地域教えてほしい
言葉遣いから察すると、多分西日本だとは思うけど
黄金バスさんは膿家育ちの旦那とどうやって知り合ったのかも不思議761 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:44:18 0
>>760
西日本じゃなくても、いまだに昭和30年代から時間が止まったような生活をしている膿家は
日本各地に点在していますよ…774 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 02:34:07 0
>>760
死んだ婆さんから相続した土地をこの間見て回ってきたけど、
膿痂って本当にいたるところにあるぞ。 - 763 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:45:54 0
- 西日本の地方都市ですが、近くの農村で、中国人の若い娘を騙して農家の嫁にする番組を観たので、現在でもありえそうだと思った。
騙したと言っても中国人通訳が娘の希望を無視して、農家の50代独身
エロじじいに都合の良いように伝えてしまいそのまま結婚してしまった。
娘は家に仕送りもしたいし、日本語学校にも通いたいと希望してたのに
「この子、何も欲がありません。ダイジョブダイジョブ」でスルー。
結婚後のインタビューで
(日本語学校に行きたいと言ってますが)
嫁は絶対外に出さない。
外に出して他の人の話を聞いたら知恵つけて出て行ってしまうから。
(でも、言葉が通じないと不便では?)
夫婦なら体の交わりがあれば良い。
もう、NHKのやらせであって欲しかったよ。酷すぎ。767 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:57:03 0<br>>>763
過去スレで、その話まんまの気の毒な中国嫁さんの話があったよ。
働きながら日本語学校に行きたいという夢を持った女の子を、監禁して強姦。
無理矢理嫁にして外に出さず働かせて、言葉も分からない嫁さんを家族全員で
「アホ」と呼んで馬鹿にして殴る蹴る。
子供が生まれても何ひとつ変わらなかった。
あまりにも扱いがひどいのを見かねて、近所の人たちがお金を出し合い嫁さんを中国に逃がしてやったけど、子供は連れて行けなかった。
その後、外道連中は「あんな言葉の分からないアホより、清楚な日本人の嫁の方がい」とほざいていたとか何とか。
あまりにも人として腐れ過ぎてて、吐き気がしたよ。 - 766 :名無しさん@HOME 2010/08/11(水) 00:53:04 0
- 弁当を担ぎ、子を連れて何キロもの道のりを
歩いて農作業中の夫に届けるところなどは・・・
もはや中国映画の世界。それも80年代のやつ。
それにしてもろくに食べ物を分けてもらえないなんて
ひどすぎる。この夫、結婚する資格がないと思うわ。 こんな記事もおすすめです
(=゚ω゚)ノ コメントについてのあれこれ
1.スパム防止の為、URLは貼れません。httpのhを抜いてください
2.エロや差別的なキーワードにはフィルタが掛かって書けない事があります
1.スパム防止の為、URLは貼れません。httpのhを抜いてください
2.エロや差別的なキーワードにはフィルタが掛かって書けない事があります
コメント一覧 (70)
また全文読んでしまった
というか、元気でやっていると思いたい。
幸せでありますように!!
ただこの「実家に撤退するときは子供連れて」スタイル、
国際結婚(特に嫁ぎ先が欧米の場合)だとヤバいらしいよねえ
ここまでではないが、東北山村の夫の実家も似たような感じ
バスのくだりは目の前がぼやけて何も見えなかったよ
文章の臨場感がすごい。頭のいい方なんだろうな。
初めて読んだ時は、高速バスに乗る件で手に汗握ったよ。
投稿者さん、今は幸せであることを祈る。
何度も読んでるのにハラハラして涙ぐんでしまうw
そして情景が目に浮かぶ
初めて気づいたけど、発達障害にもいろいろタイプあると思うものの、そんな長男が逃げる時に自分から「歩くよ」って言ったんだねえ…ホロリ
黄金バス親子と※3に幸多からんことを
損害賠償を請求できただろうに
普通の農家もあるけど、膿家はダメだ。基本的に無知なんだよ。やることなすこと現代社会の常識からズレているし、電話や文書の内容は、裁判になったら不利な材料でしかないのに。
井の中の蛙って本当に怖い。
数十年前だったら近所で良い子が先生に無理やり押し付けられて下校とか面倒見させられてたのが普通だったけど、今の時代じゃそういうの迷惑だし親が文句言ってくることも有るだろうからね
実際押し付けられてた子は良い人ばかりだったけどそれでもウザイって本音漏らすぐらい嫌がってたからねw
現在の子は特に塾とか忙しいのにその子の自由時間まで奪うことにもなりかねないからね
あといじめや嫌がらせとかもあるだろうしね
お互いのためだからね
トメさんチース!
相変わらず頭のなか昭和ひ桁で
トメさんチース!
相変わらず頭のなか昭和ひと桁で止まってるんですね!
投稿者まだ洗脳から抜けてない。
穏やかで静かなのではなく卑怯で事勿れ主義な甲斐性なしの駄目夫なだけ。
新婚一年はまだ気遣いも~なら‥
妊娠出産したり洗脳し逃げられなくする迄はって計算もあった。
要はウトウトメと変わらない性悪夫だという事。
ウト手紙も破り捨てず証拠にすりゃいいのに詰めが甘い。
普通同居数日~数ヶ月で食べ物だなんだや携帯持たせない等々ヤバさ見えた筈なんだから、
即逃げ帰り離婚すりゃ良かった。
実家の親兄姉も何故早く別れさせなかったのか。
投稿者はしっかり慰謝料請求し、養育費取り離婚したんだろうか?
これだけ奴隷扱いされながら、クズ夫の事穏やかで静かと言う辺りゾッとした。
子供もちゃんと療育し、普通の学校に拘らず、教育しないと、投稿者が年老いたり亡くなった時困るのは子供。
普通校に拘り中高大学も無事卒業はしたが、
就職後勤まらずニートになったままの人や犯罪者になる者もいる。
片やしっかり療育し養護学校出て、
障害者枠でだがしっかり働き自立し結婚もしてる人もいる。
どちらが幸せか一目瞭然だろうに
療育センターで散々相談しての通常級なら大丈夫じゃね?
通級とかは多分してるだろうし。
うちも発達障害で支援級入れたけど、療育が上手くいって普通級にうつったよ。
文章読んだ限り、かなり軽度っぽいし未就学児から療育センターと相談して普通級でしょ?
別に普通級にこだわってるようには見えないけど…
ていうか軽度の子は普通級+療育通級に行ってもらわないと支援級や養護学校がパンクしてしまうような地域もあるんだから、勝手にてめーの思い込みで普通急に無理矢理入れたみたいに決め付けるなよ。
バカが痛い目見るのは当たり前、報告者も義実家一同も
搾取されまくって耐えるバカ娘を育てた両親も
「農業には一生懸命だった、そこは尊敬する」って全然洗脳とけてねーじゃんw
こういう性懲りないバカ女がいい気になってるのは本当に胸糞が悪い
ガキ2人と無理しんじゅうでもしていれば悪い遺伝子も断てて一石二鳥だったのにな
お前が消えれば少しは世の中が良くなるのにな
地域によっては支援の負担軽減のために軽度の子は通常級+通級(放課後療育的な)の所もめずらしくないし。
漬物に味噌汁に卵焼き、塩むすびに梅干しにお中元のハムのはしっこがどうとか
報告者の文章があまりに上手いから質素だけど美味しそうな田舎の食卓をリアルに想像させられてもうたまらん
文章だけでも飯テロってあるんだな
いま、どうしているんだろう。幸せに暮らしていてほしい。
物語としてもリアリティー低く、中の下。
事実だったら、まず投稿者の両親兄弟の対応に疑問。投稿者の事は責めたくないし自業自得とまでは言わないが、それに近い感情が芽生える。
無事に離婚出来たのか?と、離婚しなかっら夫がましになって別の地方に移住したか?が知りたい。
農業が盛んな地方でも、軽トラと軽ワゴン1台ずつあれば病院も行ける。
集落や部落を馬鹿にする気は無い。都会にも慇懃無礼な馬鹿が居る。世間を知って居るから始末に負えない人もいる。元夫が世間を知らなすぎる。勉強する気が有るらしいなら、もっと大きい農業の街に行きこの嫁の近くに居れば良い。
孫や子供の事考えて離婚を奨めるけど。
wwwwwwwwwww集落www暴露wwwwwwお前のいる世界がwww日本の全てだと思ってるのかよwwww
あ、世間一般的にはドン引かれるのはお前らやぞ、ウト。
「あまり深く考えずに、代々続く農家の長男と結婚してしまった」と語る秋谷静香さん(仮名・32歳)は、東京生まれ東京育ち。田舎とは縁もゆかりもない、都会暮らしを送ってきました。
「2歳年上の彼とは職場で知り合ったんですが、結婚を機に彼が東北の地元に転職することになり、そのまま私も付いていったんです。結婚前の挨拶で一度は行ったことがあったんですが、『緑がいっぱいでいいところだな~』と、当時は旅行気分だったので気軽なノリで行ってしまって……」
◆慣れない田舎に、最初はふさぎ込んだ
しかし、改めて自分が住むとなると状況は一変します。集落の隣りの民家までは数百メートル離れていて、夜は街頭もほとんどなく真っ暗闇状態。最寄のコンビニまでは徒歩で小一時間かかり、田んぼのカエルの大合唱がうるさく、寝つけないほどだったといいます。
「なんか軟禁されているような感覚ですよね(笑)。最寄駅までも車で30分以上かかるし、電車も一時間に1~2本あればいい方。しかも車両がめちゃくちゃ短くてプラモデルみたい。土地が余ってるからか、家の敷地は学校のグラウンドより広いんですが、土間や囲炉裏が現役でまだある古民家で、タイムスリップしたみたいでした」
生活環境が一変し、とてつもないホームシックに陥ったという静香さん。家族は小姑一家や曾祖母なども入れて総勢12名。食事や家事だけでも相当な労働作業です。
「それに、ネットの匿名掲示板なんかで調べても、『農家に嫁いだら奴隷扱い』『とにかく働かされてコキ使われる』『嫁いびりが半端ない』なんてコワい話ばかり出てくるんですよ……。もう私の人生どうなっちゃうんだろうと、最初はずっとふさぎ込んでいました」
農家の朝はとにかく早く、朝5時半にはニワトリの声でたたき起こされる毎日。そんな生活が2カ月ほど経った頃、彼女の体にある変化が起きはじめます。
「それまで夜遅くまで残業し、早朝出社という不規則な生活だったんですが、田舎に来て強制的に早寝早起きになったら体調が抜群に良くなったんです。
朝食を用意して畑に持って行って、収穫を手伝って、朝日とともに朝食を食べる。朝の爽やかな気分の中、自給自足の無農薬の野菜を食べるとか、めっちゃロハス(笑)。
© 女子SPA! 提供
それに結婚当初、義理の両親から『畑仕事はそのうちちょっとずつ覚えてくれたら嬉しい』と言われていたのですが、『そのうちと言わず、教えてください!』と言ったらすごく可愛がってもらえるようになったんですよ。もう、『リアル“ザ!鉄腕!DASH!!”じゃん!』と一人でテンションが上がってました」
◆大家族の家事も…「こんなにラクしていいの!?」
さらに「古臭い田舎暮らしは何かと不便」と思われがちですが、結婚をきっかけに実家の住まいも大幅リフォーム。外見は古民家でも、オール電化&最新家電でかなり快適な空間になったとか。
「義理の両親がすごくいい人で、嫁いびりどころか、『いまどきこんな田舎に嫁いでくれる嫁なんて貴重=とにかく大事にしなくちゃ!』という考えで。大家族でも、食洗機を3つも買ってくれたので、食器を一気に突っこむだけで家事がめちゃくちゃ楽。
事情を知らない友達は、『農家の嫁なんて可哀想』『薪とか割らされてるんでしょ……?』と勝手に上から目線で同情してくる子も多いんですが、適当に電話であわせながら『掃除機はルンバで、ほとんど自動でやってくれてるよ……』と思いながら、手作りの木苺ジャムを入れた紅茶を優雅に飲んでます(笑)」
たとえ同じ状況でも、そのときの考え方・捉え方次第でポジティブにもネガティブにも一転します。できないことを嘆くのではなく、“何ができるか”を考えてみる。そんな発想が、成功への転機に繋がるのかも知れません……!
―シリーズ「人生の転機、上がったり下がったり」vol.12―
<TEXT/赤山ひかる イラスト/ただりえこ>
脱北の場面で泣きそうになった😭
電車男の二番煎じ狙ってるんだろうけど、脚本ヘタ過ぎて、腹痛いわ
投稿者さん、今どうしてるんだろうか
もう8年も前の話なんだね
素人が野菜のチェックって。笑わすなよ。冬なら真っ暗で、ろうそく点けるのか
>畑へはウトメが軽トラ、夫が車に乗っていく
車(乗用車)売って2トン車買えばいいのに。農作業に困るだろう
>通帳カード類は全てトメの金庫の中
金庫あるって、たいそうな金持ちですね
> パソコンも携帯もない
実家に帰った時、買って貰えばよかったのに。薄情な親だね
>夫婦の会話はほとんどなく
旦那とどこで出会ったの。これ重要、ちゃんと書かなきゃ説得力無し
>下駄箱の上の牛乳代と新聞代をグシャッとつかんで
金庫に保管されてる筈の現金が当日運よく下駄箱の上に置いてあったとは
>歩き続け、高速バスの停留所が見える頃には空が赤く
盆過ぎなら6時半頃。徒歩3時間だから義家出発は3時。ってなんか変だね
>巾着袋を開くと、残りは十円玉が数枚
バス代と在来線代と新幹線代が3人分と電話代で残金0円。って。へー驚いた。
牛乳屋と新聞屋の金が、親子3人の交通費と同額とは。神が味方してくれたのね
読むの疲れた。もう少し真面目に脚本書けよ
いまだに金庫が金持ちの象徴だと
思ってる人がいることに驚き。
鼻の穴膨らまして書き込んでたのかな
重箱の隅すらつっつけてなくてなんか面白い
もう帰らない。もう負けない。っていう意志さえあるなら、大丈夫だね!
しかしこの話、
70年間、某国と仲良くしなきゃいけないんだ、無理を言われてもペコペコしてなきゃいけないんだ
と思ってきたけど、最近やっと洗脳が解けたわが国を思ってしまう。
今どきいるのかしら
お前らが死ねよ
ネットやらない人は若い人も全然やらなかったから軽い気持ちで膿家に嫁いじゃったんだろうな
2000年のガラケー契約数6000万件
1999年ドコモ iモードによるネット接続サービス開始
iモード契約数2000年1000万件・2001年2000万件・2003年末4000万件
ガラケーでもネット検索出来ましたし若い人のほうが利用していました
軽い気持ちで公務員と結婚する女性はいると思いますが寒村農家姑同居の長男と軽い気持ちで結婚しますか?いるとすれば推測ですが例えば悪意をもって寒村へ入り込み何やら良からぬ事を計画的に進める集団の一員とかならあるかもしれませんね、一般論として
天才作者様、降臨ですかぁ? wwww
釣り針が大きすぎて誰も食いつきませんね www
重要なお知らせです。あなたにはネタ師としての才能は無い www
大草原に草生え過ぎて釣り師あぼーん www
ふと、金色のバスが読みたくなってまた見に来てしまった。
泣けた。明日からまた頑張るよ。生きるわ
創作だったとしてもw
こういう農家は山ほどありそうだし。
創作かどうかなんて気にならないくらい面白い
ギリギリありそうなリアリティを上手く表現出来てる
これ以外なら旅行嫁の話も好きだな
「今日は私の誕生日」で始まる話。
捜索でも何でもいいけど、この話を思い出すと一緒に読みたくなる
創作じゃないと思うよ
新潟のど田舎に嫁いだ親戚がめちゃくちゃいびられて飯も風呂も最後だった
まあ最終的にはイビリ爺婆→歩けなくなるほど弱って嫁に逆襲される
空気農業しかできない夫→子供達や親戚一同から嫌われる
逆襲するにしても20年もかける必要あったのかなって他人ながら思うけどさ
近くに都会のない地域に行けば、こんなこと未だにあるよ
ホント、とても21世紀の話とは思えないほど酷い話だ
無事に逃げ出せたのは本当に何よりだよ
今は母子共々幸せな人生を歩んでいることを願う
亀だけどすごくよくわかる…別に食レポとかじゃないのに美味しそうに感じてしまう
文章が上手い人だからかな
ほんと古典だ
もう13年も前なんだね
投稿主さん、その後どうされてるんだろう?
幸せに暮らしていたらいいなと思う
もうひとつ読みたい話(癌が発覚して誕生日に2chに書き込んだ方の話)あるんだけど
ぐぐっても見つからない…
на мой блог :D Стоимость остекления балкона
文章がとても上手くて情景が思い浮かぶね
もらうって意味で当たるって言う
姑が朝早くに嫁が寝ている部屋の戸に掃除機をガンガン打ち付けて起こす、漬物の端っこを皿に載せると怒られる、ハムの端っこが誰かの弁当に入ってないとお前が食べたのかと怒られる、とか
読み物としてとても面白い
幸せに暮らしているといいな
今どうしてるのかな?
義実家に戻ることはないと思うので、離婚成立したのかな?
疑問なのが
旦那さんとの馴れ初めは?
農家とのお見合い婚でもない限り、なかなかこんな出会いなさそう。
旦那さんは、子どもさんたちとどう触れ合ってた?夜も早々に就寝してるようだけど、子どもと遊んだりは?あとたまには夫婦と子どもだけでドライブとかなかった?
逃亡当日、出発前に義実家から実家に電話すれば良かったのでは?最寄り駅からなけなしの小銭で実家に電話してるが、万一留守だったり、感極まってどこに居るか伝えられなかったら?
もう子どもさんも成人してるだろうが、幸せに暮らしててほしい
お互いの生活圏で暮らし、時々旦那と子どもたちを交流させるとか。
もうお子さんも成人してる歳だけど、元気かな。